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2011年3月19日 (土)

不屈の精神②

  震災後  長き道のり  出発も

             溢れる人々  帰宅難民

 前回の続きです。

 3月11日の午後4時ごろに仕事場をあとにしたこねこは、余震の心配もありつつ、とにかく母のもとへと急ぐべく、激しい揺れで街の電気も全て止まったことにより、電車まで動かなくなるという非常事態。

 焦りつつも、電車も動かなければ道路も大渋滞でバスもダメだろうと思い、自宅まで約13~4kmの道のりを歩くことに決めました。

 普段の週末に自転車旅で通ってる道もありますし、表参道から国道246号線(都内の有名な国道の1つ)を真っ直ぐ行けば帰ることができるので、自宅までの道に関しては不安もなく歩き始めました。

 しかし・・・私と同じように電車が動かないことで歩いて帰る人や、遠すぎて電車じゃないと帰れない人々は駅に溢れるという、非常事態じゃなければ見られない光景も目にしました。

 とりあえず私は歩いて帰ることができるので、自転車旅で通った道の記憶を頼りに自宅へ向かい始めました。

 ただ、午後4時ごろに出発したので、通る道々はだんだんと暗くなり始め、街の灯りも全て緊急停電になったので、街灯や信号すら点いていない中を、かすかに見える道の形態などで確認しながら歩き続けました。

 13~4kmといえば、自転車旅では1時間弱で着く距離で、徒歩だと時速4kmくらいで歩いたとして約3倍の3時間近くはかかるだろうという計算でしたが、実際ウチについたのは8時近くになっていました。

 ウチに近づいてくると早く母に会いたいと心は焦るものの、都心から離れれば住宅地も増えてくることから、だんだんと人も増えていました。実際、ウチから少し離れたところにある多摩川を渡る橋は、渋谷などで見た溢れかえる人をさらに増やしたような人数で、こんなにいたら橋が落ちるんじゃないかというほどでした。

 なんとか渡り終えると、そこからはそれぞれの住宅地へと散っていきますが、それでも集団で歩いていることには変わりなく、私はお散歩で長い距離を歩いてるので慣れてることもあり、ちょっとへばり気味のお父さん世代の方々を追い抜いていきました(笑)。

 そして、約4時間の長い道のりも、自宅のマンションがうっすらと見えてくると、自然と涙が出てきました・・・。

 暗いので走ることもできなかったんですが、マンション内の階段も一段飛ばしで駆け上がり、鍵を開けて玄関を開けると、奥のほうから懐中電灯を持った母が駆け寄ってきて、私もウチに着いた安心感と母の無事をこの目で見たことで、それまでの涙がさらに増し、玄関先で母と2人でしばらく抱き合っていました。もちろん私は号泣です。

 懐中電灯に照らされた母の顔も涙に濡れていましたが、それでも気丈に「お父さんには連絡しておいたから」と言って、私のもう1つの心配をすぐに消してくれました。

 あの日、ほとんどのところに電話がつながらなかったものの、別居してる父とは何度目の電話で連絡が取れたそうです。

 ちなみに、ウチの中も食器棚からお皿などが多数飛び出して割れたり、冷蔵庫なども30cm以上ずれたそうです。私の部屋も、懐中電灯でよく見ると細かいものが1つに集められていて、普段置いてある場所にほとんど何もない状態でした。母もそこまでは片付けられなかったようなので。

 しかし、私にはもう1つ、家族と同じ心配が残されていました。
 ・・・・・・そう、Tくんです。

 忘れていたわけじゃないんですが、Tくんは男ですし、よほどのケガでもしてなければなんとかなるだろうと思っていました。もちろん不安なのは両親の無事を祈るのと同じでしたけどね。

 でも、ウチに着いて30分も経たないところでメールが入り、彼も自宅まで歩いて帰ったそうで、向こうのご両親も無事を確認できたと送ってきました。

 ようやくホントの意味でホッとしましたが、ケータイのワンセグからは地震直後よりもさらに被害の様子が映し出されていて、少し落ち着いてきた私はブログの妹として、ブログを始めたころからのおつき合いがある「智斗」さんの安否が気になり始めました。

 彼女は仙台に住んでいて、しかも一人暮らしなので、もし被害に遭っていたら誰か頼る人がいるんだろうか・・・など、不安が募りました。

 さらには、空港が波に飲まれるのは見たものの、まさかそれ以上の津波が襲ってるとは思わなかったので、街まで飲み込んだ被害を見て、その日からずっと不安感は取れませんでした(のちにコメントやメールにて安否を確認)。

 あ、気づけばこんなに書いてた。
 では、また続くということで(笑)・・・。

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日記」カテゴリの記事

コメント

 そちらは、13~4キロ、歩いたのですね!
 私のほうは、その倍くらいの距離だったので、さすがに歩くという選択肢は、思いつきませんでした…。
 自転車を買って、それで行くにしても、ちょっときつすぎる距離でしたからね。
 暗い中、8時まで歩く…本当に、大変だったと思います。

 家の中にも、被害が出たのですね…。
 冷蔵庫が、30センチもずれる…想像するだけでも、ぞっとしてしまいます。

 Tくんも、智斗さんも、無事で本当によかったと思います。
 あのTVの映像を見たら、不安になるのも、当然だと思いますよ。
 心配した気持ち、よく分かります…。

被害が時間がたつにつれて 次第に大きくなっていく過程は 阪神大震災当時と同じです

震度が大きくて 規模が阪神大震災よりも大きかったのが早く判明していましたので 被害は相当にのぼることはわかりました
それと 阪神大震災と大きく違うこと それは津波の恐怖でした

後でわかったことですが 日本は地震大国ゆえに 家屋に対する耐震は万全に近かったのです
大きな地震だったにも関らず 地震本体で壊れたり亡くなられた方は少なかったと確信しています
殆どは 津波被害でした

それだけ 今回の津波が予測を大幅に上回る規模になってしまったわけで 想定外という言葉が空しく感じました

私も仙台市に友人がおりました 安否確認が中々出来なくて心配したけれど 時間が経ってから判明して一安心 でも その後も物資不足 電気 水道なしの暮らしの大変さ ガソリン不足等々 大変な生活ぶりを聞いています

真っ暗な中を会社から家まで4時間も歩いたんですね。
よくぞご無事で!!

家に着いて母の無事を確認して号泣して抱き合う。
まるで、ドラマのワンシーンのようです。

Tくんの無事もすぐメールで確認できてよかったです。
本当にたいへんな思いをしましたね(>_<)

【こねこのお返事♪】
 皆さまコメントしていただきありがとうございます☆

【markさんへ】
 いや、たとえ100kmでも歩いていく覚悟はできてましたよ。もちろんそうなったら会社に一泊という指示が出ると思いますけど。

 ただ、普段の週末の運動がとても役立ちました。
 普段もお散歩で、長ければ12kmくらいは歩いてましたから、今回も知ってる道だけに体力的な疲れはあまり感じませんでした。精神的にはエネルギーが底を尽きかけてましたけどね・・・。

 自宅の被害は、被災地に比べたらたいしたことはないですが、食器棚から落ちたグラスやお皿はかなり割れました。

 知り合いの安否は、Tくんやちぃちゃん、快速さんもそうですが、父方の親戚で仙台にもいらっしゃるのでとても気になっていました。

 しかし、それも3日後くらいに父経由で無事(家は崩壊)で、現在避難中というのを聞いて、とりあえずホッとしました。

 ただ、高齢なので避難所での生活も気になります・・・。


【あい母さんへ】
 そうなんです。
 阪神淡路大震災のときは、古い家屋が多かったことと直下型だったことで陸地での被害がすごかったですが、今回は街中の建物はそうでもないのに、沿岸に近いところでは揺れではなく津波での崩壊ということで、どうにもならない状態でしたね。

 ただ、津波への対応した建物といったらキリがない上に、もしかしたら今回を上回るものもないとは限りませんし、ジレンマですよね。高くすれば耐震へのハードルが上がって、低くて頑丈でも高い津波の前にはなす術なしですし・・・。

 それと、避難所での生活もなんとかしてあげたいですね。
 
 1人1人では力が小さくても、集まれば大きな力になりますし、そのためには小さくても個人の意識の問題はとても大切だと思います。大きなものも小さいものの積み重ねですから。


【スマッシュさんへ】
 あとで振り返ればドラマのような・・・と思えますが、このときはただただ必死でした。

 メールは比較的つながりやすかったので、連絡は取れましたね。

 ただ、自宅へかけたときに通じなかったのは焦りました。電話回線ごと抜いておかない限り、通常ではつながらないなんてことはないですから・・・。

おはようございます!
そうですかやっぱり4時間近く。
私も同じです、しかもくたびれてきて
女の子に次々追い越されて、、、

【こねこのお返事♪】
 コメントしていただきありがとうございます☆

【独り言のおじさまへ】
 普通に歩けば、おそらく3時間くらいで着くと思うんですけど、あの日は街中に出てる人が多くて、普段こんなにいるのか!?っていうくらいでしたからね。
 
 それも、私が帰るほうは人が多く住んでるほうで、皆さん私と同じように歩いて帰宅する人ばかりだったので、混み合うというより溢れてるといったほうが正しいかもしれません。

 で、おじさまはさすがに疲れましたか(笑)。
 いつも運動してましたが、こういうときは疲労も増しますからねぇ・・・。

かなりの距離を歩いて帰られ、不安な時間を過ごし、本当にお疲れだったと思います。
我が家は旦那が電車で1時間半の距離。
帰宅難民になった場合どうするのかと以前聞いたことがありますが、とにかく歩くしかないだろうと言っておりました。

【こねこのお返事♪】
 コメントしていただきありがとうございます☆

【しまさんへ】
 歩いた距離は普段のお散歩をちょっと長くした程度なんですが、街中に溢れた人が多すぎて(実際に見たらビックリしますよ!)かき分けつつ歩くので時間がかかりましたね。

 旦那さまは、通勤に時間がかかるんですね。
 もし今回のようになったら、会社に泊まるのが一番だと思います。

 こちらでも、何人かは通勤時間が長いので、歩いて帰るのは困難と判断して泊まった人もいましたから。

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