半年が 過ぎても残る 爪痕と
街の活気に 矛盾感じる
3月11日の大震災から半年。
6ヶ月を過ぎてもなお、私の中ではまだ1ヶ月過ぎたくらいにしか思えません。
人それぞれ感覚があるので、それが遅いか早いかは問いませんが、少なくとも1年以上経ったと感じてる人に関しては、悲しいことですが、すでに「風化」が始まってるのではないでしょうか。
あの日、あの時間、私は仕事場にいました。
今でもハッキリ覚えてますが、ちょうどその日、2月に行われた簿記の2級の合格発表があった日で、お昼休みに許可を得てPCで合否の確認をさせてもらい、不合格だったことで次こそ受かってやるぞ!という意気込みを決めた、わずか2時間後のことでした。
生まれて初めてと言ってもいい激しい揺れに、普段から何が起こってもいいように・・・と、ある程度の想定をして生きてきた私でも、目の前で起こってることが分からず、社長さんを初めとして皆さんが一致協力して助け合わなければ発狂していたかもしれません。そのくらいの恐怖でした。
それから半年。
季節は二度目の移り変わりを見せようとしている今、津波による原発の問題で電力不足が懸念され、かつてここまでしただろうかというほどの節電も経験し、個人レベルから企業レベルに至るまで、みんなが被災地の方々とともにあるんだという自分ごととして捉えた結果、予想以上の節電にも成功しました。
しかし・・・成功とは言っても、それは目標の数値を達成できたというだけで、ホントはそこまでする必要はなかったのではないか?という声があったのも事実です。
ただ、私は何事も安全に度が過ぎることはないというのが持論であり、ちょっとくらい大丈夫じゃないの?といって電力が落ちるほうがよっぽど悔いが残るからです。それも悔いだけならまだしも、遺恨ということも考えられますからね。ホントに電気が必要な人に届かないことにでもなったら、大丈夫じゃないの?と言った人たちは間接的に殺人を犯すことになりますから。法による罪は問われなくても、一生ついて回るでしょう・・・罪悪感が。
なので、今年の節電も、それに関するグッズや知恵なども、できること(人)はどんどんやって、必要なところでは電気を使ってほしいというのが願いでした。
そして、その節電の中でも象徴的だったのがエアコンではないでしょうか。
昨年ほどの猛暑じゃなくても、今年は涼しい日と暑い日が極端だったので、その暑い日が例年くらいでもかなり暑く感じたのもまた事実ですし。
その中で、お店や交通機関なども、今までに比べると極端に抑えられた冷え方で、中に入っても汗が引かないということもしばしばでした。
ところが・・・私は特に交通機関は毎日利用してるので分かるんですが、9月9日に前倒しで電力使用制限令を解除したからなのか、ダイヤが通常に戻ったのはもちろんのこと、車内の冷え方も「あれ?」というほどよく冷えていましたし、街のところどころにも明かりが戻ったような気がします。
それはそれで「明るさ=活気」ということで喜ばしいんでしょうけど、今回のその原因が原因だけに素直に喜べないですし、さらに言えば、明かりが増えることで風化も増すのではないかという不安もあります。
被災地が復興して活気づくのは素直に喜べますが、まだ復興というには程遠い現実を見ているだけに、お隣の関東ですっかり3.11がなかったかのように戻っていくのは・・・複雑な心境です。
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