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2012年3月11日 (日)

3.11 2:46

  黙祷を  捧ぐ間も  流れ出る

         涙拭えど  しばし止まらず

 2011年3月11日。
 午後2時46分。

 あの日、皆さんはどこで何をしていたでしょうか。

 この日、私は普段と変わらずお仕事をしていました。
 金曜日だったので、普段よりは忙しく動いていましたが、それはもう慣れているので、あとはできる限り残業にならないように終わらせようと思っていました。

 しかし、午後2時46分から2~3分後。
 PCの前に座って入力していた私は、軽く揺れ始めたのを感じましたが、それで治まると思っていました。そのくらい小さな揺れだったので。

 ところが、治まるはずの揺れはどんどん大きくなり、かつて経験したことのない地震に発展してしまいました。もちろんお仕事どころじゃなく、社長さんの的確な指示ですぐに自分のデスクの下に入り込み、PCや資料などが散乱する恐怖を感じながら、揺れが止むのを待っていたのも覚えています。

 その後、停電したり交通機関が全く動かなくなり、ウチにいた母が心配で、私は1人で表参道から自宅までの約14~15kmを真っ暗な中、歩いて約4時間もかけて帰宅したこともありました。

 さらには、自宅のほうでも停電していたことと、とりあえず母と私がお互いの安否が分かってホッとしたことで夕食をとりましたが、あの日の白いご飯と味噌汁だけの夕食は一生忘れることはないでしょう。おいしいとかそういう感覚よりも「生きてる」という実感がものすごくありましたから・・・。

 ちなみにここまで書いてきてますが、昨年の今頃の記事を読み返したわけではないのに、まだ昨日のことのように思い出して、スラスラと言葉が出てきます。

 というか、あの日から数ヶ月はだんだんと月日が経ってるという実感はあったものの、だんだんと1年後の3月11日が近づいてくるにつれて、逆に時間が戻るような不思議な感覚が襲ってきました。

 もちろん、物理的にはありえないことですし、まだまだ復興はほど遠くても再建されてるところもあったりして、あの日からは確実に変わってる部分もあることはあります。

 しかし・・・変わってはいけない部分。それは記憶です。
 風化なんて簡単な言葉では片づけられないものであり、自分たちの子孫がこの日本でずっとずっと幸せに暮らしてほしいと願うのであれば、決して忘れてはいけないことであり、そのためには語り継いでいくことで風化を避けられるのではないでしょうか。

 被災地の方々はしばらく思い出したくもない・・・と思うかもしれませんが、それでもいいと思います。再び語ることができる日があれば、そのときにはほかの地域では体験しなかったことも話せると思います。それが今後の役に立つことばかりだと思いますし。

 今日は、天皇陛下もご自身の体調も大変な中、被災された国民のことを思い、深く深く鎮魂の祈りをされたと思います。

 私も、朝から普段の日曜とは違う思いで迎えたのは言うまでもないですが、午後2時46分が近づくと、あの日の恐怖と後日に知ったさまざまな被災地の様子を思い出し、黙祷の前から涙が止まりませんでした。

 時間が過ぎて、目を開けてもそこには涙でにじみ、歪んだ映像・・・。
 私が泣いても何もならないとは思いつつも、感情だけでは止まらない涙でした。

 今日は日本各地で午後2時46分に黙祷の時間が設けられ、普段は買い物客などで賑わう繁華街でも、皆さん足を止めて、静かな祈りを捧げていました。世界各地でも追悼のイベントも行われたそうで、本当にありがたいことだと思います。

 また、私がいつも利用している私鉄の東急は、午後2時46分少し前から全線で数分間停車して、短い時間ではありましたが車内でも黙祷が行われたそうです。この路線は、休日でも利用客が多くて混むこともあるので、元々1分間の停車(これは再びの震災を想定してのもの)を予定してたそうですが、黙祷も行うことで急遽数分間の停車に変更したようです。なかなかできることじゃないですね。

 そして、来年も再来年もそのあとも、3月11日という日は訪れるでしょうけど、あくまでも東日本大震災が起きた日という認識にして、その日だけをあの大震災を思う日にするのではなく、地震やさまざまな天災に対して、日ごろからの備えと危機感も忘れてはならないですね。

 午後2時46分は過ぎましたが、再び祈りを捧げたいと思います。
 東日本大震災で亡くなられた方へ・・・・・・合掌。

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日記」カテゴリの記事

コメント

本当にこねこさんも大変な思いをされたのですね。

3.11はけっして忘れないよう記憶にとどめたいと思います。

テレビでも特集を組んでいるので、見ていました。

福島の原発もまだまだ大変なようですね(>_<)


 私にとっても、「忘れられない日」ですね…。
 これほどまでに、「怒りを感じたこと」は、なかったですから。
 そして、その怒りは収まるどころか…身を食いつぶそうとしています。
 私にとっては、「去年」ではなく、「現在進行形の現実」以外の、なにものでもないですね…。
 なので、「風化」どころではないというのが、現状です。

 それでも、「地震自体の恐怖」などは、だんだん忘れつつありますけれどね…。 
 備えなどはきちんとしていますが、恐怖自体は、「忘れてしまってもいい」と思います。
 そうでなければ、人間の精神なんて、もたないですからね…。

【こねこのお返事♪】
 コメントしていただきありがとうございます☆

【スマッシュさんへ】
 今回のは日本では最大級のものでしたが、地震と津波までなら復興も今頃は進んでたと思います。

 しかし、原発に関しては完全に「人災」なので、今後何十年もかかるでしょうし、その点では風化は少し遅らせることはできそうです。

 とはいえ、地震や津波に対しての備えは復興よりも早くピッチを上げて、どんどん進めていかなければなりません・・・。


【markさんへ】
 私にとっては恐怖と未曾有の体験ばかりの1日でした。
 長距離を歩くことに関しては大丈夫ですが、普段明るすぎるくらいの街が暗い中を歩くのも怖いですし、暗いのに人の多さは雰囲気などで十分感じられましたから、パニックなどを起こした場合、巻き込まれるのも怖かったです。

 そして、なんといっても今まであまり考えなかった、家族の距離感は昨年の震災では深く深く感じるようになりました。

 今日も、母はパートがお休みだったこともあって、私もどこへも行きたくなく、あの日できなかった母と寄り添いながらあの時間を迎えました・・・。

今日は悠未のイベントでしたが・・
昨年も九州新幹線全線開通のイベントでしたが中止になりました。。
あれから一年・・
本当に・・・・・

早い・・・復興を全復興を願います!!!

「あの日」僕は高速バスの中に居ました。。。
丁度仙台に戻る途中の。

今でも忘れもしない・・・。
「恐怖」「不安」「悲しみ」...etc
様々な感情が入り混じりながら、それを押し殺して暮らした日々。。。

僕も、本日の14:46には、黙祷を捧げました。。。
黙祷を捧げることしか出来ない・・・。
でも、「忘れない」ことが僕らに出来る事ならば、
その務めを果たすのが人の道・・・。

志高く、精一杯生きましょう。。。

【こねこのお返事♪】
 コメントしていただきありがとうございます☆

【yumi-mamaさんへ】
 今日は、いろいろなイベントもあったんでしょうけど、やはり自粛はされてるようですね。

 ただ、当時の自粛とは異なり、今回は日本全体が祈りの時間として気持ちを1つにしてましたし、こういうのは1.17も含めて続けていきたいですよね。


【ちぃちゃんへ】
 一番つらいのにコメントしてくれてありがとね。
 それでも、そのちぃちゃんがこうやって前向きなコメントをしてくれると、私たちも心強いよ。

 これから、私が生きてる間はほぼ確実に起こる首都直下地震や東海~南海で起こる連動地震にも立ち向かえそうだし。

 私たちは、これから伝えていく担い手になるわけで、子供ができてもしっかり事実を伝えて、それを繰り返していくのが残された使命かな・・・。

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