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2015年6月23日 (火)

慰霊

  壕の中  短い生涯  幕を閉じ

      祖母を通じて  今があるかも

 ウチは沖縄に親せきがいるわけでも、出身者でもないですが、とある縁があって身近に感じています。

 というより、遺伝子が感じずにはいられないといったところでしょうか。

 ウチの両親は新婚旅行で沖縄に行ったそうです。
 海外旅行も普通の時代でしたが、父の意向でどうしても沖縄に・・・ということだったようです。

 幼いころ、初めは素敵な観光地に行って羨ましいなぁと思ってましたが、本当の理由を聞いてからは私もいつか必ず行くんだ、と心に誓いました。

 今日は沖縄慰霊の日で、以前に比べたらTVでも多く取り上げられるようになってきました。

 と、ウチがなぜ関係あるのかといえば、父の本当の父、つまり私にとっても本当の祖父(祖母は終戦後に再婚してるため)が沖縄の壕にて亡くなったからです。

 父はもちろん、私も会ったことのない祖父ですが、戦地へ赴く前に撮られた写真が残っていて、顔だけは知っています。

 そして、今はもう亡くなりましたが、祖母にとっても別れたくて別れたわけじゃないので、幼子であった父を養っていくために再婚したことで、沖縄へ行って亡くなったとされる場所へ行きたいとは言えなかったようです。それは当然のことですよね。

 しかし、晩年になって祖父(再婚相手)の許しを得て、ウチの両親と祖母、他に親せきが2人の計5人で沖縄へ向かいました。

 まだそのころは祖母も認知症ではなく、元気なころの姿を知っていたので、両親も祖母も孫である私や弟には悲しみに暮れる姿を見せたくないと、一緒に行くことを許されませんでした。

 帰宅後、両親からすぐ、泣き崩れる祖母の写真を見せてもらいながら話を聞いて、普段の知的で明るい祖母からは想像もつかない様子を写真からも容易に思い浮かべることができ、涙が止まらなかった記憶があります。

 平和の礎(いしじ)という、沖縄戦で亡くなったさまざまな犠牲者の名前が刻まれた石碑があるのはご存じだと思いますが、祖父の名前も載っています。これも父が撮った写真で確認しました。

 そのときも、刻まれた祖父の名前をなぞるようにしている祖母の背中を、父はどんな思いで写真に残そうと思ったことでしょうか。

 また、祖母も意図してないとは思いますが、撮られてる背中から血を受け継ぐ私たち姉弟に思いを託してるようにも感じて、私も同じく悲しいですけど、それだけではいけない何かを感じたのも事実です。

 いつの世も戦争はなくならないと言いますが、だからこそなくすような努力をし続けていかなければいけないですし、祖父や祖母の思いを後世に語り継いでいくことも大切だと思ってます・・・。

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コメント

私も10年ぐらい前に沖縄に旅行に行きました。
その時、アブチラガマに行きました。

糸数アブチラガマは、沖縄本島南部の南城市玉城字糸数にある自然洞窟(ガマ)です。沖縄戦時、もともとは糸数集落の避難指定壕でしたが、
軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、全長270mのガマ内は600人以上の負傷兵で埋め尽くされました。
昭和20年(1945年)5月25日の南部搬退命令により病院が搬退したあとは、糸数の住民と生き残り負傷兵、日本兵の雑居状態となりました。

その後、米軍の攻撃に遭いながらも生き残り、8月22日の米軍の投降勧告に従って、住民と負傷兵はガマを出ました。
何人もの人がそこで死んだようです。

戦争はいかなる場合でも回避しなければなりませんね(>_<)

【こねこのお返事♪】
 コメントしていただきありがとうございます☆


【スマッシュさんへ】

 そうでしたか。
 一般で訪れる人でもそういう感想になるんですから、おばあちゃんの思いやいかに・・・ですね。

 TVでもやってましたが、ああいうことが今でも世界のどこかで起こってるかと思うと、やりきれない思いですよね・・・。

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