2008年1月17日 (木)

あの想いを変わらずに

  13年  数字にすれば  ひとくくり

            しかし想いは  永久(とわ)に変わらず

 最近『You Tube』というサイトで仔ネコのカワイイ動画に癒されてる私ですが(微笑)今日は特別な想いで「阪神淡路大震災」に関する動画を見てから記事を書いてます・・・。

 人の記憶は深く残るものと淡く消えてしまうものがありますが、おそらくあの大震災のことは人々の記憶の奥深くに残ってるのではないかと思います。

 6000人を超す尊い命が失われ、まるで空襲にでも遭ったかのように変わり果てた街並み・・・。

 私は13年前まだ子供でしたが、あの高速道路が倒れてる映像はショッキングなもので、半信半疑だったのを覚えてます。

 しかもあの日の大地震は、私が住んでる神奈川県でも揺れを感じるほどで、目を覚ましたのも覚えてます。

 数年前からニュースなどでトップとしてあまり伝えなくなりましたが、どうしてでしょう?
 個人的には8月15日の終戦、9月1日の関東大震災と同じくらい、阪神淡路大震災や中越、北陸での2つの大きな震災はどのTVもトップで哀悼の意を表し、その日1日くらいは防災や当時の様子などを人々の記憶から消えないように伝えるべきだと思ってます。

 ニュースというのは新しい情報を伝えるのが前提ではありますが、前記の大きな出来事は地震大国の日本に住んでる者としていつまでも後世に語り伝えるべきことだと思います。

 そして、9月1日の関東大震災は防災の日として避難訓練を行なう習慣は昔からありますが、この1月17日も火災で多くの人命や家屋が失われた経験を活かす意味でも、寒い時期に被災したらどう対処するか?などなど、もっともっともっと!国民の常識になるくらいマスコミなどを通じて情報を伝えてほしいですね。

 そのことが6434名の亡くなった方々、他にも多くの負傷者が出たことへの尊い犠牲に応えることでもありますし、その使命が私たちにはあると思います(合掌)。

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2007年10月10日 (水)

プチプチ☆

  プチプチと  つぶす楽しさ  やめられず

               気づけばやるほど  クセになるかな

 プチプチプチ・・・あぁ~気持ちいい~☆

 2、3ヶ月前だったと思いますが、ニュースで「プチプチ(エアキャップ)」取り上げられていたのを見て「私もやりた~い☆」と思い、どこかで大量入手できないものかと考えていたら、母がパート先で大量とは行かないまでもいくらかもらえると教えてくれたので、今ほしいっ!!という気持ちを抑えながら「じゃ、明日もらってきて!」とすぐにお願いしちゃいました(エヘ☆)。

 そして今日、母の帰宅に玄関へ飛んで行き、まるでネコじゃらしへ飛びつくように「プチプチ」をもらいました(笑)。

 さすがに、すぐ「プチプチ」で遊ぶと母に悪いと思ったので、母と一緒に夕食を済ませてから、食後のデザート代わりに「プチプチ」を手に取り・・・「プチッ☆」

 ハァ~気持ちいい・・・。
 私は一人で恍惚の表情を浮かべていました(笑)。

 ある玩具メーカーからは、無限にプチプチが楽しめるおもちゃも発売されてるそうですが、どこまであの「快感♪」を再現できるのか、楽しみです☆

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2007年8月15日 (水)

誓い

  恒久の  平和に願いを  込めるなら

                 六十余年の  月日に誓う

 先日、Tくんと一緒におばあちゃんに会ってきた記事で、私の実の祖父(父方)であり、おばあちゃんにとって前の夫を戦争で亡くしていることを書きましたが、今回は、二度と戦争をしないと誓った日本国の一人として、身近にいる戦争体験者の話を、両親から聞いたことですが、ここに記したいと思います・・・。

 父は戦時中、今の北朝鮮の北部から中国にかけて成り立っていた「満州国」で昭和19年(1944年)に生まれました。
 
 当時、朝鮮や中国へ「開拓」と称して、多くの日本人が大陸へ渡りましたが、おばあちゃんも自分の姉と妹、そして夫である亡きおじいちゃんとともに4人で渡ったそうです。

 昭和20年近くともなれば、日本の戦局も終わりに近づいてるときでしたが、そんな中おじいちゃんにも「赤紙」という徴兵を要請する文書が満州で渡されたそうです。行き先は・・・沖縄でした。

 私の父を胎内に残したままおじいちゃんは戦地へ赴きましたが、おばあちゃんたち3姉妹はそのまま満州へ残ったそうです。
 しかし、日本の戦局も陰りが見えたころ当時のソ連(今のロシア)が侵略してくると聞いて、満州にいた日本人は祖国へ引き上げるために列車などを使い、移動を始めたそうです。

 そのころには父もこの世に生を受けていましたが、引き上げるときに何割かの赤ちゃんは地元の中国人に預ける、いわゆる「残留孤児」として置いて行かなければいけない状況の中、おばあちゃんは夫である亡きおじいちゃんとの約束を果たすべく、たとえ自分が死んでも生まれたばかりの父を日本へ連れて帰る決意のもと、移動を続けたそうです。おばあちゃんはそのとき弱冠20歳そこそこで未亡人になりました。

 途中、すでにソ連兵が侵攻していた土地を抜けるときも、父の口に手ぬぐいを含ませ、泣き声によって気づかれないようにしたことも聞きました。
 また、移動中は食事どころか、水分を取ることもままならないので、自分たちのおしっこをまた違う手ぬぐいに含ませ、それを飲むという過酷さだったそうです・・・。

 その後、無事に帰還しましたが、昭和20年の沖縄戦にて夫であるおじいちゃんの戦死を告げる通知が届き、その後まもなく終戦・・・。

 終戦を機におばあちゃんは母子2人、東京で暮らすことを決意。
 12、3年後に今のおじいちゃんと再婚するまで、知り合いの全くいない東京で女手一つで父を育てました。

 再婚する際、今のおじいちゃんも夫を亡くしたおばあちゃんの意を汲み、新しく息子になった父の姓を前姓のままでいいということになりました。父が言うには、満州から帰還するときの決意を忘れていなかったんだろうということで、結婚生活わずか2年ほどの夫婦でしたが、そこには計り知れない愛の深さを感じました。そして、そのことを許した今のおじいちゃんの心の広さも感じました(涙微笑)・・・・・・。

 2ヶ月近く前、6月23日の沖縄戦終結の日に『もう二度と・・・。』という記事を書きましたが、そのとき私の両親とほか数名でおばあちゃんを沖縄に連れて行ったとき、おじいちゃんが戦死したとされるある洞窟へ行き、人目もはばからず大号泣したときも悲しいのと同時に孫(私や弟のこと)まで持つことができた父をここまで育てることができたことの安堵感もあったと思います。そして、おばあちゃんの固い決意があってこその父ですし、もし途中で死んでいたら今の私もないので、改めておばあちゃんの偉大さを尊敬しますし、感謝の気持ちでいっぱいです。

 日本は昭和20年(1945年)の8月15日を以って終戦の区切りがついていますが、今、世界のあらゆるところで戦争は起きていて、国同士の争いとされてますが、実際に被害に遭うのは戦争など望んでいない国民です。

 その国民一人一人にはそれぞれの人生があります。しかし、多くの悲劇を生むことこそあれ、それを上回る利益や喜びなどありません。
 戦争の勝者とされるアメリカの戦争体験者の中にも、素直に喜べないかたもいると思います。それだけ戦争というのはどんな理由があってもしてはいけないことですし、する意味がないと思ってます。

 日本も戦争の被害者であると同時に、アジア・オセアニア諸国への加害者でもあります。2つのことを経験していて、なおかつ世界で唯一の被爆国でもあるので、もっともっと世界に戦争の悲惨さを訴えていかなくてはならないと思いますし、それが敗戦補償などとは別の補償として語り伝えていくべき使命が日本にはあると思います。

 この地球上から戦争や核兵器をなくすのは不可能だと言う人もいますが、そう思ってる以上なくならないと思います。しかし、いつの日か、敵を殺して自分たちが生きていくことに希望を見出してる少年兵が、肩からかけてる銃の代わりにペンを持ち、無限の可能性がある希望という輝きを見つけてほしいと願って止みません・・・・・・。

 最後になりましたが、日本の終戦記念日という場を借りて、日本人だけではなく世界各地で亡くなった戦争被害者、殉難者の方々に祈りを捧げたいと思います。二度と戦争を起こしてはならないという願いと誓いをこめて(合掌)・・・。

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2007年8月10日 (金)

もう一度見直してほしい

  最近の  ニュース見ていて  気づくこと

                 推理するのは  誰の仕事か

 小さいころはすすんでニュースを見ることがなかったので分からないんですが、昔のニュース番組ってどうだったんでしょう・・・?

 なぜこんなことを思ったかというと、最近のニュースを見ていて、事実を伝えるのが本来の目的であるはずなのに、いろいろな「コメンテーター(解説者)」と称した人たちがいろいろな事件にコメントして自分たちの推測を話し始めてるのを見て「まだ事実が分からないのに、視聴者が誤解するような意見を言っていいの!?」と思ったからです。

 数年前に東京都の中目黒という駅で、地下から上がってきた日比谷線がカーブを曲がりきれずに脱線し、反対方向の車両と衝突したのを覚えていますか?
 あのとき母がニュース速報で見たのが「爆弾によるテロの可能性も」というものでした。

 また、これは記憶に新しいですが、JR福知山線の脱線事故・・・。
 このときも速報では「踏切内の車に衝突して脱線の模様」などと伝えていました。

 他にも挙げればキリがないですが、コメンテーターと名乗る人たちが出始めたこともニュースの尊厳が失われてるような気がします。
 視聴者、世間一般の人たちの興味があるのは分かります。そして、注目される事件などでは一刻も早く真実が知りたいのも分かります。

 しかし、簡単に速報で「誤報」を流すくらいなら事実が分かってからでも遅くはないと思いますし、コメンテーターと称する人たちの意見もいらないと思います。ニュース番組がワイドショーのようになってるのも首を傾げるばかりですし・・・。

 今回はちょっと硬い話になりましたが、情報というのは戦争などでは武力よりものを言うとまで言われてますから、もっともっと情報に携わる方々には確実な取材をお願いしたいです・・・。

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2007年6月 7日 (木)

社保庁の実態

※今回は『心の赴くままに!』の「akakage」さんから今回の年金問題の根本的な部分をデータ化したものを広めようということで急遽、記事の引用を許可していただき記載することにしました。

 ↓ここから記事引用。

社会保険庁職員が、みんなから集めた年金で購入したもの

社会保険庁本庁所有の公用車2台(180億円) ※書き間違えではない 社会保険庁公用車247台(4億円)
職員の外国出張費(1億6500万円)
千葉の社会保険大学校内にあるゴルフ練習場の建設・維持費(1200万円)
校内のテニスコートや体育館の維持費(計409万円)
東京の社会保険業務センター内のテニスコート建設費(422万円)
バスケットコート建設費(354万円)
全国の社会保険事務所に導入した利用ゼロの印刷機(921台、1億5030万円)
社会保険庁の年金広報費(10億600万円)
年金資金運用基金への支出、交付金(計3兆3600億円)
グリーンピア建設費と借入金利息・管理費(3800億円)
年金福祉施設や老人ホームの建設・維持費(1兆5700億円)
住宅融資事業費(9300億円)
年金資金運用基金へグリーンピア建設や住宅融資資金の名目で出資金(1兆800億円)
職員の事務費充当(5300億円)
職員の健康診断費(3億7000万円)
勤労者福祉施設維持費(100億円)
社会保険庁が新築した職員宿舎(10億円) ※家賃は東京都心3DKで2万円
年金関連施設の職員向け宿舎(28億800万円) ※家賃は東京新宿区3LDKで月6万956円
社保庁職員宿舎の整備・維持費(42億円)
社会保険庁長官の交際費(250万円)
社保庁職員の交通事故賠償金(15件、1800万円)
保養基地運営法人への支出(2兆円、総額5兆6000億円の使途判明) 年金資金運用基金や厚生年金事業振興団総裁の退職金(各4000万円)
厚生年金病院の建設費(全国68カ所、112億1900万円)
福祉施設の建設費(169カ所92億1400万円)
大規模年金保養基地(グリーンピア)の職員向け宿舎建設費(15億2600円)、
年金資金運用基金(旧・年金福祉事業団)の職員向け宿舎建設費(2億6500円)
社会保険庁職員用のマッサージ器(6070万円、計395台)

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